2019年3月12日 (火)

「日韓語」 と 「中国語」 の 「外来語表記」

ハム <ham> 火腿」  「オルガン 오르간<olgan> 風琴」「オルゴ

ール  오르골<olgol> 八音琴」「アーチ   아치<ati> 弓形門」「

ンピック올림픽<ollimpik>   奥林匹克」「カメラ   카메라<kame

la>  照相機

 

  「ガレージ  개라지<galaji>  汽車庫」「カンニング  커닝<kaning> 

   作弊クーラー 쿨러<kulla> 冷気設備」「グラス 그래스<gulas>

   玻璃トマト 토마토<tomato>  西紅柿

 

  「カール   <kal> 巻髪」「ガス 가스<gas> 気体」「カクテル 

    테일<kokteil> 鶏尾酒」「キャバレー   카바레<kabale> 酒館

  「キューピッ 큐비트<kyupit> 恋愛之神」「クッキー   쿠키<kuki>

 小甜餅クリケット   크리켓<kuliket> 板球」「グルメ 구르메

 <gulume> 飲食家ココア 코코아<kokoa> 可可茶」「ゴシップ   

 거십<gosip> 閑話

 

  「グラビア 그라비아<gulabia> 照相凹版」「ゴリラ 고릴라<golilla>

 猩猩」「ゴール <gol> 終点」「ギブス 깁스<gibsu> 石膏

   イフ  나이프<naipu> 餐刀」「ネクタイ 넥타이<nektai> 領帯

   ック 노크<noku> 敲門」「ロボット   로봇<lobot> 機械人」「ビー

 로비<lobi> 門廊」「ラッシュ 러슈<lashu> 熱潮」「リレー  릴레이

 <lillei> 接力賽跑

   レシート  리시트<lisitu> 収款条」「レストラン  레스터랑<lesto

  lan> 西餐館」「マリファナ  마리화나<malifana> 印度大麻」「マヨ

  ネーズ 마요네즈<mayonez> 蛋黄醤」「メガホン  메가폰<megapon>

  伝声筒」「メッカ  메카<meka> 麦加」「マンドリン  만돌린<mandoll

  in> 曼陀林」「マニキュア  매니큐어<manikyua> 指甲油

    ハーモニカ 하모니카<hamonika> 吹口琴」「バイオリン 바이올린

   <baiollin> 小提琴」「ブザー 부저<buza> 蜂鳴器」「パンダ   판다

 <panda> 熊猫」「ボーナス 보너스<bonas> 額外津貼」「ボーク 

<boku> 投手犯規」「バトン  배턴<baton> 接力棒」「ベーコン

 이컨<beikon> 腊肉」「ビタミン  비타민<bitamin> 維生素」「

ッチ   스위치<suwiti> 電門

スケート  스케이트<sukeit> 冰刀」「スクリーン 스크린<sukulin>

 軽便屏風」「サングラス  선글라스<sangllas> 太陽鏡」「ステーキ

스테이크<suteik> 牛排」「スタジオ  스튜디오<styudio> 照相館

セロリ 셀로리<seloli> 芹菜」「シャツ  셔츠<shatu> 汗衫」「

ェパード  셰퍼드<shepadu> 狼狗」「ソーセージ   소시지<sosiji>

 紅腸」「スリッパ   스리퍼<sulipa> 拖鞋

セメント  시멘트<siment> 水泥」「オムレツ  오믈렛<omullet>

肉蛋巻」「アスピリン 아스피린<asupilin> 阿斯匹林」「オアシス

오아시스<oasis> 緑洲」「アカシア  아카시아<akasia> 洋槐」「

リバイ 알리바이<allibai> 不在現場」「ウイスキー  위스키<wisu

ki>  威士忌酒」「ユーモア  유머<yumo> 幽黙」「アンカー  앤커

 <anka> 力賽」「アルバム  앨범<albam> 相片簿

アレルギー  알레르기<allelugi> 変体反応」「エアコン 에어컨<e

  akon> 空気自動調節機」「バッター 배터<bata> 撃球手」「バット 

 <bat> 球棒

 

2019年3月13日 (水)

「古代朝鮮語」 は 「現代日本語」 の水源

  「奈良時代」「日本」という国号を作ったのは、「白村江の戦」で新羅

に敗北し倭国へ亡命した「百済人」である。その後、倭国は「日本」と称さ

れ、そこに住む人は「日本人」ということになった。「日本人」と称されて

も、彼らの90%以上」は朝鮮半島からの「渡来人」であった。「司馬遼太

郎」平安時代までの日本文化は外国のもの。日本が日本らしくなったの

は鎌倉時代以降であろう。と語っている。

 

「埴原和郎(国際日本文化研究センター名誉教授)のアシミュレイション

による統計では、「奈良時代の人口」「約600万」だったとされているが、

れらのほとんどは「古来からの日本人」ではなかった。それらの人口につ

いて、「縄文人の子孫」「朝鮮渡来人」の人口比は「約1対 9.6であっ

たという。

 

「縄文時代の子孫」が、「奈良時代の壮大な仏閣等」の建立に参画して

いたとは思えない。「日本」という国号が作られ、「渡来人」「日本人」

になったとは言え、「各集落・地域」ごとに「異なる朝鮮語」を使ってい

た。そして、「時の経過」とともに「自分たちは日本人」だという「意識」

が強くなり、「話す言葉」「日本語」であると思うようになった。

 

当時の「倭国の言葉」「朝鮮語」であったとは言え、「朝鮮半島」

「共通語」はなく、「渡来人の言葉」が倭国の「方言」になっていた。し

し、倭国に「方言による文献」はなかったために伝習されなかった。従っ

て、「現代日本語」のほとんどは、「文献」として残存し続けた「大和朝

廷」「宮廷語」「水源」になっている。

 

「国弘三恵」「朝鮮半島からのエリート集団の集中的移住が宮廷文学を

開花させた」と述べ、李寧熙 (韓国国会議員 韓国日報論説委員)「記

紀は吏読表記<万葉仮名に相当>で書かれている」と述べている。このことは

「大和朝廷」にかかわっていた人々は主として「百済人」であり、「記紀」

「万葉」は主として「百済」「王朝語」「水源」としているという説と

一致している。「宮廷語」「大和朝廷」という「一地域の方言」だけれど

も、多くの色々な文献を生み出し、時代の移り変わりに応じて「各種の文

献」となって残り、「江戸・明治・大正・昭和」へと伝習され続け、「学校

教育の拡充、新聞・雑誌・ラジオ」などの急速な普及とともに、「一般大衆

の共通語」なったのである。「日本列島」「朝鮮半島」の歴史的環境を

考慮すれば、「日本」「類似した歴史的経過」「朝鮮」にもあったと推

測される。

 

「中国語の漢字」の不便さ

「漢字の発祥地」「中国」であるが、「朝鮮」に伝播した「漢字の音と意味と使用方法」は変化している。「飛鳥~奈良時代」ごろ、「朝鮮渡来人の知識層」「漢字」「日本」へもちこんだので、「日本の漢字」「音と意味と使用方法」「中国語の漢字」のそれらと相当に異なっている。

 

ところが、「日本人」は、「日本の漢字」「中国のものと同じ」であると思い、「音読み」すれば「中国語の漢字音」に近いだろうと思っている節がある。例えば、「中国人の人名」などを「音読み」にして使い、それらの音が「本人のものと全く異なっている」のに「違和感」を述べる者がいない。

 

「戦後」いつの頃までか記憶にないが、「朝鮮半島」「地名・人名」も音読みされていた。しかし、現在 それらは「現地音」で言われ、カタカナ表記により「本人の名前」「近い音」で表現されている。なぜ、「韓国」の場合、「現地音」「近いもの」が使われるようになったのかと思っている方もあるかもしれないが、これは、「日本」が進んで行った改革ではなく、「韓国政府の要請」があったからである。

 

この「変革」については、「日本国内」「反対する人」たちがおり、裁判になった経緯がある。しかし、「韓国政府」から「当人の名前を実際のものと異なった音で表現するのはやめて欲しいという要請があったので中止されたのである。

  
「漢字文化」に慣れ親しんできた「日本人」「漢字を礼賛する傾向」がある。「漢字廃止論」などを表にだすと猛烈に「反駁」される傾向がある。しかし、「世界の数ある言葉」の中で、文化に遅れをとっている「未開社会の人々」言葉は別にして、「漢字」「原始的な文字」の筆頭にあげられている。

 

その証拠に、「中国人」「日本人の名前」「自国式の発音」で呼び、「日本人」「中国人の名前」「自国式の発音」で呼んでいる。「漢字国ベトナム」「漢字使用」をやめて「ローマ字化」させ、「漢字国朝鮮」「ハングル化」させている。「漢字の発祥国」である「中国」でさえ、「漢字」「ピンイン文字化」させようとしている。

 

「西洋言語学」では文字は話し言葉の影であり記号である」とされている。「漢字」世界唯一の古代文字」「文字の化石」と言われている。「漢字」に関連して、「ブリタニカの百科事典」には古い言葉、未分化のものほど非体系的・非統合的である。部分的・直感的でシスマティックでないのは、幼児・下等動物が統合性にかけた行動をするのに類似すると書かれている。例えば、「未開社会」の人々が、「犬」「魚」の数を表す「3」を異なって言うのに類似する現象だという。


 「漢字」がいかに「非合理的な文字」であるかは、現在の「中国」における「漢字の使い方」を見ればよくわかる。「中国」は、終戦前後ごろ「文盲が多く」「女性の約40%」「文盲」であったという恐るべき話もある。現在の中国では「漢字が簡略化」され、「豊」「丰」「業」「為」「個」「个」などとなっている。

 

「中国」は、洪水のごとく流入する「外来語(人名・地名・スポーツ・医学・科学 etc.)の対応に困惑している。例えば、「熱狗 ホットドッグ」「一対男女 アベック」「空中小姐 スチュワデス」「西紅柿 トマト」などを比較して見るとき、「韓国人」「日本人」から見れば滑稽にさえ思われる。

 

「グローバル時代の言葉」に追随するのが困難になった「中国」では、「ピンイン文字の教育」に力を入れ、五十年後には「漢字」を廃止するという。「黄鼠狼 イタチ」「蜂斗叶 フキ」など、「星の数」ほどある「動植物名の漢字語」は戦慄をおぼえさせる。殊に、「グローバル化」した「スポーツ、医学、科学、食品」などの用語に対応している「日韓」「外来語表記」と比較するとき、「中国語」の対応語は「漢字」による表現の限界を感じさせる。「中国」でも盛んになった「サッカー・野球・バレー」などのスポーツ用語について「中国人」に聞くと、それらの競技の中の「漢字表現」が、スポーツの面白さを半減させているようである。

2019年3月14日 (木)

「中国の漢字語」 の 「日本語」 による表記

  世界に「フリガナ」をつける国は「日本以外」にない。ただこのことだけ

からでも、「日本語」は世界で最も「稚拙な文字表現」をしていることがわ

かる。社会生活おいて最も大切な「人名・地名」において、「フリガナ」

つけなければ「正しい呼び方」を間違えることが日常茶飯事に起こる。

 

「フリガナ」をつけなければ「読めない書けない文字」「人名」「地名」の数が多すぎする。これを「改革」しようとは誰も言わない。戦後 五十年間に培われた「閉鎖的島国根性」が今でも継続し、「言葉を新時代に対応」させる思想に違和感を抱いている。「古い習慣や習俗への愛着心と郷愁」「母親から離れられない幼児」のように「幼児的言語」にまつわりつかせている。

 

「日本」では、中国の国家主席「胡錦涛<フチンタオ>」「コキントウ」と言っている。「日本の地図帳」では、「中国の地名」「現地音<カタカナかフリガナ付>」になっているのに、「新聞<一新聞を除いて>」「雑誌」「テレビ」では「日本式の音読み」が採用されている。「広州<コワンチョウ>」「コウシュウ」と言っている。優勝選手の名前が、「電光掲示板・テレビ画面」「現地音<ローマ字>」で書かれているのに、アナウンサーは「日本式の音読み」で叫ぶ。「国際会議」の議場などで、「日本の代表者」が知名度の高い中国人の名前を、「日本式の音読み」で言えば出席者は唖然とするだろう。

 

「日本語」を学習する「外国人」は、「音の重さ」を軽視して文字が自在におどっている「漢字」に辟易している。「日本人」「蝉時雨」「氷雨」「的外れ」「鎧」「兜」のような文字を「万華鏡」のごとく楽しんでいる。人間は未開時代において、「統合性」をもたずばらばらに言葉を作る。「雨<う>」「雨<あめ>」「雨<さめ>」「時雨<しぐれ>」「雨雲<あまぐも>」「五月雨<さみだれ>」などと「雨」を多様に使う言葉の変化は、「未発達の幼児の頭脳」がもたらす不完全な「思考回路」を示すものである。

 

「日韓語」 の 「漢字表記」 はそっくりである。

 「日韓語」「漢字の音とコンテンツ」は実によく対応している。同じ

「漢字語」「中国語」と比較するとき、「中国語」「別の漢字」で表現

する場合が多い。例えば、「愛着 → 留恋」「哀調 → 悲調」「愛嬌 → 可

愛之処」などとなる。また、「日韓語」「中国語」の漢字音を比較すると、

「同じ漢字」でも、「選挙 선거<sonko> 選挙<xuanju>」「閣僚 각료<kakul

yo> 閣僚<geliao>」「歌가수<kasu> 歌手<geshou>などとなる。「日韓

語の漢字音」がそっくりであるのに「中国語の漢字音」は相当に異なること

がわかる。

 
「日本の漢字文化」「7~8世紀ごろ」「朝鮮渡来人」によって形成

れ、『記紀』『万葉』「渡来人」によって書かれている。「日本語」

「漢字音」「朝鮮語」「漢字音」に類似し、異なるように思える「漢字

音」「規則的」「音転訛」によって変化している。「日中辞典(小学

)「朝鮮語辞(小学館)によって「音と意味」「対応する熟語」

をピックアップすると、「中国語」と異なる「日韓語の対応語」5000

を超える。
 

타류talyu> 他流」「中国語」では「別流」になる。단주<tanju>

断酒」「忌酒」、「구분<kubun> 区分」「分割」になる。また、音の比

較をすると、무욕<muyok> 無欲」「無欲<wuyu>목조<mokcho>

彫」「木彫<mudiao>야간<yakan> 夜間」「夜間<yejian>と発音

される。

 日韓語」「約7080%」「漢字語」であるというだけでなく、「漢

字」「意味・用法・音」まで似ているということは、「英独語」「約50

%」「ラテン語」であること以上に「近似した言葉」であると言える。

 

「英独語」「兄弟語」であると言われているならば、「日韓語」「親

子語」と言えるだろう。

 

付 記
 

 「韓国語の漢字」「旧漢字」のままであり、「ハングル化」と重なって

ますます漢字を「好まない人」が増えている。「日本」でも、「覺」「團」

「爇」「寫」「變」のような「旧漢字」が多ければ、学童をさらに悩ますだ

ろう。「中国語」ほど「略字化」しなくても、「褒」「淵」「躙」「瞰」

「齢」「膚」「賓」「朧」「纏」「癲」などの「漢字の画数」を減らせない

ものだろうか。

 

「世界の学童」「同じ時間」で学習効果を高めようと思うなら、「漢字

雑さ」を見なおす必要があるだろう。「ハングル学習」の容易さから

「日語」を見れば、「韓国の学童」「日本より短い時間」で学習効果

をあげることができるにちがいない。「最高学府の教育」を受け、2030

年も語学にかわっていながら、「書けない文字」について「慨嘆」する

日本人は、「日本語の文字」を今後どうすべきかについて検討する必要が

あると思われる。

 

「日本語」 と 「韓国語」 の同系語説

  「日本語」「韓国語」「同系語説」について、多くの先哲「村山七

部四郎 泉井久之助 河野六郎 金沢庄三郎 白鳥庫吉 金田一京助 新村

出 芳漢 李基文 大野晋・・」などの学者がそれぞれの論考を発表して

おられる。そして、現在、「日本の言語学界」では、「日韓語は同系語で

はない」というのが定説になっているようである。

 

   しかし、「松本清張」「清張通史」「記紀は古代朝鮮語で書かれ

と述べ、「上田正昭(アジア史学会会長)」 「司馬遼太郎」らの

対談によれば、「『日本書紀』は百済人を主軸にして書かれ、天皇・

藤原氏<百済人>都合がいいように整理されている」という。また、

大日本地名辞書』第一巻の「地名総説」に、「古代朝鮮語と日本語

は同じである」と書かれていると「金達寿」は述べている。また、

ーナード・リーチ」「河井寛次郎」「濱田庄司」と親交があった「柳宋

悦」 「奈良時代の書画・文献・神社・仏閣などは韓国の国宝とも言え

る」と述べている。

 

 また、「大和朝廷」「宮廷語」「古代朝鮮語」であっただろうと

いうとを示唆する方々がおられる。それらの方々には「佐々克明 文定

昌 国弘三恵 亀井勝一郎 井上貞 山本健吉 小山修三 埴原和朗 丸谷才一

・・」どがいる。「日韓語」「同系語」だとする「韓国の言語学者」

には、栄来(全北道立博物館館長 韓西古代学研究所所長) 李男

(梨花女子大 東亜大学教授 文学博士)」 「徐廷範(慶熙大学名誉教授

アルタイ語研究所所長)」 「金容雲(日韓文化交流会議の韓国側代表・

本側代表 画家の平山郁夫)」「李寧熙(国会議員 韓国女流文学会会長)

朴炳植 金思燁(ハーバード大学招聘教授 慶北大学院長 東国大学日本

研究所所長) などがいる。

2019年3月15日 (金)

「日本神話」の真実

  「日本の歴史の真実」は隠蔽されている。「先進国」と称される国で、「日本」のように「古代史の真実」を朦朧とさせる国はないだろう。まるで実際に「存在」したかのように「ヤマタノオロチ」を登場させる。「フィクション」が現実化し、描かれた「神々の存在」を受容している。その真実について「日本人」は無言のままである。

 

ソウル市内の「国立中央博物館」で韓国の「檀君神話」 「日本の建国神話」 を比較考察する「学術会議」が開催されたとき、アジア史学会会長 「上田正昭氏」の論文が事前公開された。その際、「上田氏」「天孫が空から降りる韓国と日本の神話には類似性が多い」という記述に注目が集まったという。「日韓の神話」を比較研究してきた「上田氏」は、「日韓の天孫」「山頂に降臨」しており、「共通点」が多いと主張。「百済」「神の存在」が、「日本」で継続的に「命脈」を受け継いできたと指摘しているという。

「日本の建国神話」は、「韓国」「檀君神話」の影響を大きく受けており、この事実は「韓国」だけでなく「日本史学界」でも認められているという。「日本神話」は、主に「八世紀初め」に書かれた「記紀」の記述がもとになっている。この説は、『駕洛国記』による韓国の降臨地亀旨<kuji>『記紀』による降臨地「久志」の音がそっくりであることからも否定できないという。

 

「日本」にも「朝鮮」にも、「仏教」以前から「神道」が存在している。「神道」は、「朝鮮半島」「古代文化」を形成した「北方民族 (騎馬民族) 「シャーマニズム」に由来すると言われている。「北方民族」「シャーマニズム」「天孫降臨神話」をもっており、「天孫降臨神話」「日本」にも「朝鮮」にもあるということは、「北方」「騎馬民族」によって形成された「朝鮮文化」の流れに「日本」も乗っていることになる。「弥生時代」から急増した「朝鮮渡来人」が、「倭国」「神道」をもちこんだのはごく自然な流れだろう。

 

「梅原猛」「芸術新潮(2009)の大特集「古代出雲王朝」で次のように述べている。

 

日本書紀の記録や出雲で発見された古墳・遺跡・大社の社などから判断すれば、スサノオは朝鮮半島から出雲へ来たという説が正しい。スサノオがヤマタノオロチを切った刀は韓鋤の剣であることからしても、スサノオが韓国から来た神であると考えるのが最も自然であろう。スサノオに始まる出雲王朝には朝鮮の影が強く差している。」

 

さらに、「梅原猛」は、著書『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』で次のように述べている。

 

出雲王朝の創立者は韓国系と考える。その証拠に出雲王朝の遺跡から銅鐸が出てきた。銅鐸の起源は韓国の貴族が双馬馬車につけていた鈴だ。スサノオが韓国からきたとする説はますます有力になっている。新しい日韓関係を見せてくれる。韓国に注目しなければならない。古代日本にとって、韓国は文明国であったし、さまざまな文化を伝えてくれた。」と述べている。

 

 「出雲市」の斐伊川の上流に「鳥髪<とりかみ>」という所がある。市町村合併によりその地名なくなったが、「奥出雲」「鳥上小学校」「鳥上公民館」「上<かみ>「髪」の音から転用した語である。

 

AD四世紀」ごろスサノオ」は韓国の소머리<somoli> 牛頭」から奥出雲の「鳥髪(とりかみ)へ渡来し、「たたら流し」「リーダー」として名を成した人であるという。「スサノオ」「砂鉄」によって「草薙の剣」を作った「偉人」という伝説があり、「草薙の剣」「ヤマタノオロチ」の尾にあった剣のことである。

 

「記紀」の神話を書く際に、「フィクション」「モデル」にされたのは「スサノオ」であろうという説がある。『記紀』を書いたのは「渡来人(主として百済のエリート)であり、『記紀』が書かれるより300年前」の伝説の人 「スサノオ」も渡来人である。「スサノオ」は天から降りて来た「神様」ではなく、新羅の「ソモリ」から、「出雲の奥地」「砂鉄」が豊富にあることを知って「渡来した鉱夫」たちの「リーダー」であった。AD3世紀」ごろに「砂鉄から鉄」を作った話が、「永遠の昔」からあった話であるかのように、「神話化」されて『記紀』に書かれたと「金達寿」は述べている。

 

소머리<somoli> 牛頭」「鳥髪(とりかみ)は同じ言葉で、<so> 牛」<se> 鳥」に転訛し、머리<moli> 頭 髪」「鳥髪」「髪」と同じ言葉であるという。「スサノオ」が天から降りて来たという「神話」は、「朝鮮」「天孫降臨神話」を模した「フィクション」に過ぎない。「朝鮮由来」の歴史が「朦朧」と曖昧化されている。

2019年3月16日 (土)

荒神谷遺跡の銅剣の謎

  「荒神谷遺跡」で発見された「銅剣」に関する書籍が歴史博物館や書店に置かれている。これまでの「全国出土総数300本余り」に対し、一度に358本」 も発見されたので、「日本中の話題」となっている。しかし、これに関する書籍の「多くの結論」「謎」で終わっている。

 「荒神谷遺跡の銅剣」「弥生時代<約BC 300AD 300頃>」 に埋められたものとされている。「朝鮮半島」BC 2000年代前半」の出土品に、「荒神谷」発見された「銅剣」「うり二つ」「銅剣」が見られる。「弥生時代」よりはるか「昔の朝鮮」に、そっくりな「銅剣」があったということから、どのような人たちが「倭国」「銅剣」を持ちこんだのか推測できる。

 「朝鮮」「青銅器時代」から「弥生時代初期」まで「約1700年」「弥生時代末期」なら2300年」ぐらい経過している。このことは、「倭国」「朝鮮半島」「文化格差」が比較にならないほど大きかったことを意味している。

「弥生時代」における「倭国の原住民<縄文人の子孫>「渡来人」「人口比」「約1対9.6だったという。従って、「朝鮮半島」に近い「出雲地方<荒神谷遺跡の発掘地>」 には「渡来人」がとても多かっただろう。「青銅器時代」から「弥生時代初期」まで「約1700年」あるわけだから、「青銅器」である「銅剣」は、「弥生時代以前」から「出雲」に持ち込まれていたかもしれない。「倭人」「銅剣」「製造」したり「輸入」をしたのであると語るのはおかしい。「弥生時代の人」「銅剣」「出雲」「製造」したなどと推測するのは時代錯誤である。

 

 「古墳」「朝鮮渡来人」が作ったものである。「弥生式土器」「渡来人」が作ったものである。「高松塚古墳」も朝鮮人が作ったものである。「日本人の祖先」のほとんどは「朝鮮半島」からの「移住民」である。このことを認識しなければ、正しい「日本の古代史」「霞のかかった山」のように頂上を見ることはできないだろう。さもなければ、これから「百年」たっても、荒神谷遺跡の謎」は解けないだろう。

 

2019年3月17日 (日)

朝鮮語と日本語はアルタイ語である

  「アルタイ山脈」の周辺に住んでいた「騎馬民族」「高度な言語文化」を生みだした。その言語を「アルタイ語」と言うが、「アルタイ語」「トルコ語・モンゴル語・朝鮮語・日本語」などのルーツになっている。

「アルタイ山系」「金の産地」と言われ、「アルタイ」「金」を意味する。「古代朝鮮」の豊かさは、「アルタイ山脈周辺」に住んでいた「騎馬民族」「金文化」の影響によるものだと言われている。「天馬塚」をはじめ「朝鮮半島の墳墓」から出土する「金工製品」「欧州」の墳墓のそれらに劣らないのは、「朝鮮半島」「アルタイ民族(騎馬民族)の侵攻・洗礼を受けているためだという。「朝鮮人の名字」「金」が多いのは、「朝鮮人の別名」である「アルタイ人」すなはち「金人」にちなんだためかもしれない。

 

「朝鮮語の源流がアルタイ語であることを否定する者」はいない。「朝鮮」で、「アルタイ語」の勢力がいかに大きかったかを示すのは、「中国の漢字」との関係である。「朱蒙」「高句麗」を建国する際に、「文字」がなかったので「言葉の表記」をするために「中国の漢字」を採用した。「高句麗」「上流階級」には「漢字」の音を使って手紙を書く者がいくらでもいた。これが「吏読表記」の始まりである。

 

しかし、「朝鮮語」「漢字」で表記されたにもかかわらず、「朝鮮語」と「中国語」はまったく「別体系のもの」であった。このことは、いかに「漢字」の存在が大きくても、「朝鮮語」「中国語化」せず「アルタイ語系」の言語のままであったことを示している。当時、「アルタイ語」の勢力がいかに「朝鮮語」を大きく支配していたかを物語っている。「古代から現代」にいたるまで、「中国語」の影響は「語彙の面」においてのみであり、「語法」「構造」においてはアルタイ語」のまま踏襲されているのである。

日本の歴史は朝鮮半島の流れにある

「金思燁(ハーバード大学招聘教授 慶北大学院長 東国大学日本学研究所所長などを歴任)「李男徳(文学博士 梨花女子大 東亜大学教授などを歴任)「徐廷範(慶熙大学名誉教授 同アルタイ語研究所所長)などは、「日韓語はアルタイ語に属する言語であり、古代日本語は朝鮮半島からの渡来人の言葉で形成されている」と述べている。